小さい頃から自分が子供だと認めるのは嫌だった。子供扱いされて怒るのはつまり子供だからなのだけど、それがわからないからやっぱり子供だったと思う。今の自分が大人になったかと言えばそれもまた難しいところで、歳の上ではまだ17だしケツの青いガキもいいところだろうけれど。
 自分よりも年が上だからという理由で偉そうにする人間が嫌いだった。早く生まれただけなら亀の方がどれだけ偉いだろう?だから中学生の頃、先輩にタメ口をきいて無駄に敵を増やしたりした。尊敬に値しない人間に敬語を使うのは屈辱だった。かと言って周りの環境をわざわざ波立てるあたりがやはり幼かったとは思う。今は形式だけの敬語に屈辱を感じない。安いプライドの恥ずかしさに気付いた分、少しは成長したんだろうか。
 インターネットというものを考える。理論上は、というか実際、世界中のどこからでも同じものをみられるのがネットだというけれど、こうして日本語だけに頼って書き連ねているブログは大抵日本人にしか読まれないだろうし、その上数多くの、文字通り数え切れないブログが濫立する中この文章を目にする人がどれだけいるんだろう。(どうでもいいけれど、一文が長すぎる。)ネット環境のある人間のうち、この文章を目にする人数の確率なんて無いに等しいと思う。自分自身がアドレスを教えた数少ない友人以外に、このブログまで辿り着く人間なんて本当にいるんだろうか。アクセス解析をすれば当然わかるのだろうけどそんなことをするつもりにはならないし、別に答えが欲しいわけでもないのだけれど。
 ただ、本当にネットの可能性なんて僕の考えなど及ばないくらい広いもので、だからこうして時々日記をつけることもとても勇気がいることのように思う。顔の見えない読者は意識しなければ存在しないのと一緒だけれど、本当は世界中の人間がこの文章を読んで驚いたり呆れたりするかもしれないのだから、小心者の僕としては怖い…とても、怖いと思う。
 だからいつも自分の日記を何度も読み返す。でもまだまだ自分は幼くて頭が悪くて日記の内容も救いようが無いから読み返したところで手直しのしようもないことが殆んどで。ネット上に存在する僕というのは著した拙い日記だけなのだから、つまりそれを読んだ誰かにとって僕は日記がすべてになってしまう。顔も知らない誰か、それは小さな子供なのかもしれないしお年寄りかもしれない。実年齢もそうだし精神年齢もわからなくて、当然性別や血液型や、それよりもっと以前の問題として名前もわからない。(個人を表す最たるものは本当に名前なんだろうか。名とは本当に、存在の本質を表しているだろうか。話の筋から離れるのでやめよう…)わからないけれど、誰が読むにせよ本当なら好意的に受け取られた方が嬉しくて、そのために必要なのが僕の考えでは「大人であること」だと思っている。
 大人ってなんだろうか。20歳になったら大人だなんて、そんな線引きは求めていない。確かに物事には基準が必要で、日本では20歳で成人と便宜的に決められているけれど、僕がなりたいのはそういうものではない。それならあと3年寝てればいいだけなのだから。かと言って何が大人なのかと問われるときっと答えられないのだろうけど、僕がなりたいのはせめて空気を読むことのできる人間だ。日記で言えば、出来るだけ多くの人にわかりやすく、面白い文に仕立てられたら素晴らしいと思う。わざわざ人を不快にさせる必要はなくて、でも自分の気持ちを吐き出すためにそうしなくてはいけない時もある。それでもやっぱりネット上での僕は文章だけの存在なのだから、表も裏もうまく表現していけたらなぁと思うわけで。…あぁ、なんだっけ。
 つまりあれです。今まで僕の日記を読んだことのある人、或いはこの文章を今まさに読んでいる人に、悪い意味で「馬鹿な奴だな」なんて思われたくないよ、という気持ちです(苦笑)良い意味の馬鹿なんてあるのかって訊かれそうです…つまり嘲笑しか受けられないか楽しい笑いを提供できるかどうか、というような?自分で書きながら意味がよくわかりませんが。

 そろそろ朝でしょうか。こんな時間にひたすら普段の低レベルな文章の言い訳をして逆に馬鹿を露呈するようで本当にもう…やっぱ馬鹿です。すいません認めます(笑)というかそろそろ寝ます。おやすみなさい、良い夢を!(大丈夫、皆さん寝ています。