命のはかなさを知る。


 またか、と思う。手馴れた動作で処理を始めながら、胸を支配するのは恐怖だった。謂れの無い申し訳なさと、ほんの少しの哀惜、そして一番大きいのが恐怖。自分は恩知らずだ。あんなにも愛し慈しんだものにも関らず、最期に思うのが恐怖だなんて。
 一度死に魅入られたものからすると、生きていることと死んでいることの境界はひどく曖昧なのだという。生の延長上にある死。そこに境など無くて、だから恐怖する事も焦がれる事も無駄なのだと。ただその瞬間を待ち、認めるだけなのだと。
 彼らの言葉を理解出来ないわけではない。それでも自分は、それを恐れた。僕は生きていて、「これ」は死んでいる。もう、届かない。物理的にはまだ近くにあるこの距離の間を決定的な何かが別ってしまったのだ。「これ」と自分は違う。その差異が酷く恐ろしかった。
 小さな墓あな。恐怖から半ば投げ捨てるように、「それ」を納め土をかけた。さよなら、どうかそちらが安らかな世界でありますように。徐々にその身体が土に隠れてゆくにつれて、自分の中の恐怖心も姿を消していった。大丈夫。僕は、生きている。澱のように停滞していた死の気配は寂しさを滲ませて空気中に霧散した。



(シリケンイモリは、2匹とも逝ってしまった。本州は寒かっただろうか。)